1日に引退を発表した、日本ハムファイターズの斎藤佑樹(33)投手。斎藤佑樹投手番組の報道で今季限りで現役引退を発表することを報じた。 プロ野球で残せた数字はわずか15勝26敗、防御率4.34。一軍での登板はわずか88試合だけ。06年に夏の甲子園を騒がせた斎藤佑樹投手のファンの期待からしたら、一変プロでの活躍は、結果からしたらとても残念である。が、しかしこの結果も11年間のプロ野球人生の現実的な結果である。
引退発表の斉藤裕樹、彼の野球人生を語る。
1日に引退を発表した、日本ハムファイターズの斎藤佑樹(33)投手。引退を千葉・鎌ケ谷市内の球団2軍施設の報道陣のインタビューに応じた時に報じた。
報道陣のインタビューに応じた斎藤佑樹投手は心境を語った「いろんな思いがあるんですけど、一番はファイターズというチームで11年間、最高の仲間と一緒にプレーできたことがとても幸せだなという気持ちがあります」というように心境を述べた。
その内容には、斉藤投手の11年間の様々な思いが込み上げてきたかのような心境であった。
斎藤佑樹投手は、2006年に夏の甲子園で激闘を繰り広げた延長15回の死闘を制し、全国制覇を達成してから早稲田大学に入学後、大学では通算31勝をマーク。その後プロに入団してからの結果は、思うように大成できずプロ1年目に6勝、翌年に5勝を挙げたが、2012年に右肩関節唇の損傷が発覚。
2020年には右ひじの靭帯断裂が明らかになったことで、引退の決意に踏み切る事となった。プロでの活躍の結果は、15勝26敗、防御率4.34。一軍での登板はわずか88試合だけに留まった。
佑ちゃんファンからしたらスターの活躍を待ちに待っていたが、12年に肩の怪我が発覚した以降は思うような結果が出ずにとても残念な報道となった。
2016年にはファンの期待に応えようと背番号を「1」に変えてそのシーズンを奮闘したが、自体は好転せずにプロ野球の人生を終えることとなった。
また、その際に北海道内からもねぎらいの声や引退を惜しむ声が相次いだ。
1988年世代と斎藤佑樹の野球ストーリー1
「プロ11年で15勝」斎藤佑樹の引退に思う“ドラ1候補”たちの数奇な人生 〈荒木大輔は大学生になりたかった?〉
06年に駒大駒大苫小牧高の4番として活躍した日高町の本間さん(33)、06年の夏の甲子園決勝1―1で迎えた延長十五回二死、打席に入った本間さんは直球で追い込まれ最後はフォークで空振り三振。
「いつでも、どんな場面でも冷静な投球をしたあの頃の斎藤佑樹を今でも思い出すよ」と語っている。
本間さん自身、斎藤佑樹投手の引退が報じられた時は「本当なのかと驚いた」と言って、すぐには信じられなかったらしい。その後、LINEで直接本人に確認のLINEをし、斉藤投手から「本当だよ」をメッセージをもらって確信したという。
ソフトバンク主砲柳田選手の言葉
ソフトバンクフォークスの主砲柳田選手も斎藤佑樹投手を尊敬している一人だ。
斎藤佑樹投手との対戦成績は通算6打数2安打で終わっている。願わくば斉藤投手の肘の故障が治りパリーグ一軍で活躍している斉藤投手との再対戦を今でも望んでいるとのことだ。
引退を報じた斉藤投手に柳田選手は、
「僕らの世代をまとめて言う時は、この先もずっーと『佑ちゃん世代』ですよ」
とコメントを残した。
斉藤投手が表舞台からフェードアウトしていくと同時に一方柳田選手は対照的に「トリプルスリー」などを達成させソフトバンクという球団の顔になるまでの選手に成長を遂げた。
それゆえに「ハンカチ王子」が起こした社会現象は「同世代」にとっては強烈なシンパシーとなって感じるものがそこにはあった。なので、斎藤佑樹投手に敬意や尊敬の意思を持つ同世代の選手達はとても多い。
斎藤佑樹まとめ
今回の記事のまとめです。
・引退発表をする斎藤佑樹投手
・斎藤佑樹、彼の野球人生を語る
・1988年世代と斎藤佑樹の野球ストーリー
この3つのテーマで斎藤佑樹投手について語りました。
彼が残した野球伝説ストーリーは野球ファンにとってかけがいのないものになるでしょう。
特に1988年世代の「佑ちゃん世代」の選手達には心に刻まれた斎藤佑樹投手の「功績」は多大なるものとなり後世に語り継がれるものになるのでしょう。今後の斎藤佑樹投手としての活躍ではなく、斎藤佑樹としての活躍に乞うご期待ですね。
コメント